戦国大名の健康育毛術

家康の健康と髪の毛を支えた八丁味噌


徳川家康と言えば、日本人なら誰でも知っている歴史人物です。
今回はそんな家康を健康面、特に髪の毛を支えた味噌のお話をしましょう。

今川家の人質として

徳川家康(松平元康)は三河国、現在の愛知県で生まれました。
当時松平家では当主が急逝した事で起こった身内同士の内紛を統御できず、織田家に領地を奪われるなどした為、当時駿河や遠江(今の静岡県周辺)を治めていた大名今川義元の庇護下となりました。小さい頃に人質として今川家で過ごしていたのもこれが理由です。
元服後は今川義元の『元』の名前をもらい松平元康と名乗ります。これも殿様が家来に自分の名前の1文字をあげるという「一字拝領」という褒美の一種です。

ですから、桶狭間の戦いで今川義元が討たれ松平家が独立した時は、名前を『松平元康』から『松平家康』に変えています。
もう今川家の家来じゃなくなったから名前なんて使わない、という意思を示したのでしょう。

困難を乗り越えて天下を統一

ここでひとつひとつ説明するのが野暮なくらい、家康は多くの苦労を体験しています。
人質時代の幼少期から始まり、今川家が崩壊し独立した後も同盟元である織田家とは長男信康の死を始めとした困難が続きましたし、信長亡きあとは豊臣秀吉との対立もありました。

家康が苦労したエピソードの一つとして有名なのは、武田信玄と戦った三方ヶ原の戦いです。

侵攻する武田軍に対し、城から出て迎撃しようとした家康の作戦は失敗。
多くの家臣が犠牲となり、家康本人も命からがら浜松城へ戻っています。

その時に描かせた絵がこちら。
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』と呼ばれる絵で、三方ヶ原の戦いで自分が失敗して悔しがる姿を絵にする事で、今後の反省材料にしようと言う意図があったそうです。
実際この戦いでは代々仕えていた多くの家来を失っており、徳川家にとっても大きな損害でした。
小説『鬼平犯科帳』のモデルとなった長谷川宣以(長谷川平蔵)の先祖、長谷川正長もこの戦いで戦死しています。
平蔵が活躍できたのも、先祖の命を張った奉公があってこそのものだったのでしょう。

髪も体も健康体

そんな戦国時代に生まれ多くの苦労を経験したにも関わらず、家康は非常に長生きをしました。
享年73歳というのは当時としては非常に長寿でしょう。
現在の感覚で言えば100歳を超えたような物として考えて頂いて結構だと思います。
また肖像画でしか判断できませんが、絵を見る限り髪の毛の方もかなり豊かだったのではないでしょうか。

というのも、二代目将軍秀忠の墓が東京タワー建設の為に移転改築された際、死後300年以上経った現在においても秀忠には髪や体毛がフサフサだった記録が残っているからです。
毛髪は遺伝の要素もあるので、秀忠の父親である家康の髪がフサフサだった可能性はかなり高いでしょう。

ふさふさを支えたのは八丁味噌と麦飯

そんな天下を取った徳川家康ですが、体調管理には非常に気をつけていました。
特に彼が心がけていたのが食生活。
周りの戦国武将が豪華なものを食べ早死にしていった中、彼は天下を取っても麦飯や味噌汁を食べ続けていました。

家康の生まれは三河で、名物は八丁味噌です。
八丁味噌は現在でも味噌カツや味噌煮込みうどんなど、名古屋グルメとして楽しまれています。
戦国時代ではまだ八丁味噌という名称は無かったものの、大豆を使った豆味噌が作られ、家康もこれを好んでいました。

大豆に米や麦の麹を入れて発酵させる普通の味噌とは違い、豆味噌は大豆に『豆麹』という大豆から作った麹を加え、3年程発酵させて作ります。
その為たんぱく質、ビタミン、ミネラルに加え、大豆イソフラボンが非常に多く含まれており、このイソフラボンの中の配糖体が育毛効果を持っているそうです。

また麦飯には食物繊維、タンパク質、ビタミン、ミネラルが豊富で、髪に必要な栄養価もしっかり摂取できます。
八丁味噌で育毛の手助けを、麦飯で生えた髪の毛のケアをと、二重の結果が期待できる組み合わせのようです。

まずは週1回の味噌汁から

もちろん、この現代社会においていきなり八丁味噌の味噌汁と麦飯だけの食事にするのは大変ですし、周りも驚かれる事でしょう。なにより続けるのが大変となっては、本末転倒です。

そこでオススメなのはピンポイントな食べ方。
毎日この組み合せにするのではなく、例えば週に一回とか、毎週日曜の朝とか、まずは少しずつ八丁味噌のお味噌汁をご自身の生活に組み込み、それから続けてみたり回数を増やしてみたり麦飯を追加してみたりと調整をすれば、無理なく長く続ける事が出来るはずです。

筆者もこの生活をした経験がありますが、外食やコンビニ弁当が続いた後に麦飯や八丁味噌のみそ汁を朝食に組み込んでみると、質素な部分に新鮮さを感じて面白いものでした。
育毛も健康も大事ですが、食事を義務ではなく楽しみと感じる事も大切なのではないでしょうか。