自毛植毛の歴史

自毛植毛の歴史

皆さんは「自毛植毛」についてどの程度ご存知でしょうか。薄毛、脱毛、自毛植毛に関する情報を皆さんにお届けしたいと思います。

自毛植毛がアメリカから日本に上陸したのはもう十年以上前になります。その間にも様々な技術改良や頭髪に関する研究も日進月歩進化し、同時に自毛植毛も更なる進歩を遂げてきました。自毛植毛の最大の魅力とは、正しい手術をし成功した場合その移植した毛髪はそこで生え続けることができます。また、自分の毛髪の移植なのでアレルギー反応が起きる心配もありません。

では、「自毛植毛」の治療について詳しく解説していきましょう。

「自毛植毛」は、毛髪が生える元となる毛根の部分を頭皮に移植することを言います。さらに言えば、人間がもつ皮膚付属器官である毛包の単位で移植をするため、二本から三本の毛の束で移植をすることができます。生着に成功すればそのまま自然の髪の毛のように一生自然に生え続けることができますので術後のメンテナンスは不必要です。

この記事をご覧になっている方の多くは、何かしら頭皮に対して悩みを持った方なのではないでしょうか。

頭髪の薄毛が始まってしまうと、進行を防ぐことはできても自然の力で元に戻すことは難しいと言われています。そんな方に自毛植毛は効果的な治療法といえます。ただ、いきなり自毛植毛を受けようと思っても不安な部分や知らないことが多いことも事実です。

まずは、「自毛植毛」について少しでも皆さんに知ってもらい理解をしてもらうことが必要であると考えています。

今回【自毛植毛データアラカルト】では薄毛・脱毛・頭髪に関する事柄、そして「自毛植毛」について、皆さんが理解できるようストレスのないように解説をしていきたいと思います。

植毛の歴史

【植毛のはじまり】

現在、日本では自毛植毛の認知度はそれほど高くないと言われていますが「植毛」はとても長い年月をかけて研究され、そしてさまざまな技術が考案されてきました。植毛の技術はアメリカから日本へ上陸してきましたが、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

そもそも植毛のはじまりは、19世紀末-1983年にドイツの外科医が頭髪や頭皮の移植をしたことからだと言われています。当時、ヨーロッパでは大規模な戦争も多かったために負傷兵への治療のため皮膚を移植する医療技術も取り入れられていました。こうした影響から皮膚移植の進化を遂げ、薄毛対策として、毛髪を移植するという技術が生まれたのだろうと言われています。

【自毛植毛の概念―1960年代】

日本人の医師も自毛植毛について、優れた研究と開発をしてきました。戦争などの理由で世界に広がずに埋もれてしまったと言われていますが、1939年には奥田庄二医師は1939年に「パンチグラフト」の手法を発表しました。この発表により「自身の毛髪をのかの箇所へ移植する」という概念が世に浸透したのです。この発案は常識を覆し自毛植毛への技術進化が進歩するきっかけとなりました。その後、彼の理論は埋もれてしまいますが、後にノーマン・オレントライヒ医師がパンチ・グラフト法を確立した際に、奥田庄二医師の手法が再度、注目されました。

―パンチ・グラフト法とは?

では、パンチ・グラフと法とはどのような植毛技術なのでしょうか。この植毛方法は自毛植毛の原点とも言われています。主な方法は、後頭部からドナーと言われる移植のもととなる部位を採取し、約直径4㎜ほどのグラフトに分けて植えつけます。しかし、パンチ・グラフト法はグラフトが直径3、4㎜と大きく、余計な部分も多いため植毛部位同士の間に隙間ができて地肌が目立ち、術後の仕上がりがとても不自然な仕上がりになるのです。そのため、この植毛方法は全く行われていませんが、当時は唯一の植毛法だったためにパンチ・グラフト法なくして現在の自毛植毛はない、と言えるほど自毛植毛の原点となり、多大な影響を与えたのです。

【植毛の発展期=1970年代】

植毛自体は、1960年代に始まったとされていますが、自毛植毛の「毛根がある皮膚を切り取って、植毛が必要な部位に移植する」という現在の「自毛植毛」に近い技法が1970年代から用いられるようになりました。それまでの植毛法は移植する皮膚の幅が約10㎝と大きく切り取っていたため術後の仕上がりが不自然だったことがデメリットでした。しかし、1970年代は切り取る毛根の幅を株(グラフト)単位で切りとる技術が発達したため術後の仕上がりが自然で目立たなくなったと言われていました。また人工の毛髪を移植するという「人工植毛法」も1930年代に始まったと言われていますが頭皮に異物を埋め込むわけですから異常反応が起こったり痛みなどが生じてしまうこともあり現在はアメリカやなどで手術自体が禁止されています。1970年代前半に「フラップ法」が開発され、70年代後半には「スカルプ・リダクション法」が開発されました。

―フラップ法とは?

1970年代前半に開発された「フラップ法」という植毛法とはどのような植毛法なのでしょう。薄毛の方の場合、人によっては側頭部に頭髪が多く残っている場合があります。この部位の一片をフラップと呼びます。このフラップだけを毛根から切り取り移植する方法です。フラップを切り出す方法も様々な方法が考案されましたがこの方法には難点がありました。移植した植えつけの髪の向きの調節が難しいため見た目が不自然になってしまうのです。また、失敗してしまった場合血流をうまく巡回させることが難しく、移植したフラップが全て懐死してしまう危険性が問題視されていました。

―スカルプ・リダクションとは?

1970年代後半に入ると「スカルプ・リダクション法」という植毛法が開発されました。これはフラップ法と同じように頭皮を切り取って移植する方法になりますが、切り取る部分は薄毛部分で周囲を引っ張り縫い合わせることで薄毛の箇所を改善するという方法です。手術時間も短時間で済みましすし、術後すぐに見た目も改善されているために関心を集められていました。ただ、「スカルプ・リダクション法」の施術患者の中には切り取った頭皮の周囲部分の抜け毛が多くなるというような副作用の事例が多く見られました。その副作用を「ストレッチバック」と呼びます。頭皮を引っ張り縫い合わせたために血流が悪くなり、酸素や栄養が行き届かなくなったことが原因だと言われています。

【自毛植毛術の進化=1990年代】

1990年代に入り、自毛植毛の技術や開発に力を注ぐ研究者たちも増え、術後の仕上がりも考慮した様々な方法が開発されるようになりました。中でも、FUT法やFUE法などの自毛植毛の技術は現在でも多く用いられています。また、生え際の植毛の際には仕上がりを美しくするために、毛根を細かい単位で移植できるような技法が取り入れられ、グラフトはミニグラフトからマイクログラフトまで進化をしました。

―FUT法とは?

毛細単位植毛(FUT法)は現在世界的に行われている植毛技術です。FUT法は、今までの植毛技術を進歩させたものになりますが、植毛をする際に毛穴から生えている毛根を1本ではなくまとまりの株をそのまま移植させようとした方法です。このFUT法が広まったことでこれまで行われていたフラップ法、パンチグラフト法のデメリットである仕上がりの不自然さが改良されました。現在の自毛植毛術でも活躍している方法で、大量の植毛をしたい方に向いた術式になります。

―FUE法とは?

植毛には毛根を移植をしますが、髪にメスを入れない方法も存在します。それをFUE法と呼んでいますが、植毛を希望している方野中に、切らないで植毛をしたいと希望している方や頭皮をメスで切り取ることができないような方もいらっしゃいます。FUE法でしたらメスで切らない手術ができる可能性があります。
その為FUT植毛は術後の仕事復帰なども早く出来る可能性があります。

切らない施術とは、メスを使わずに毛穴をくり抜く方法のことを言います。くり抜いた箇所は術後縫わずに傷がふさがるのを待つことになります。髪が長い方は目立たないのですが短髪などの短い髪形ですと傷跡が見えることがございますが、最近は傷跡を小さくする機材も増えていますので、以前より目立ちにくくなってきています。
また、FUT法に比べて同じ面積から多くのドナーを取ることができません。大量の髪を植毛したい方には向いていない方法と考えられています。

【新たな植毛術(医療としての頭髪再生)=2000年代】

2000年代以降から今日まで、様々な薄毛対策が開発されていますがかつての植毛法と比べると著しい進歩を遂げています。以前の植毛法で問題視されていた点に関しても近代の自毛植毛技術の発展によって満足度の高い植毛技術が提供できるようになりました。毛髪を再生するための医療行為としては、内科的方法の薬を服用する医療行為と外科的方法である頭皮を移植する医療行為のふたつがあります。

現在も植毛法についての研究も進んでおり確かな効果があり、リスクを回避できる施術が受けられる時代ともいえるでしょう。

【現代の植毛(女性への薄毛対策の進歩)=2010年代】

現在の植毛技術は、医師達の経験、実績を基盤として研究、開発を行い非常に精度の高い植毛法が編み出されてきています。自毛植毛を受けたいという方の中には頭皮を移植するということに不安を持つ方もたくさんいます。そんな方でも安心して施術を受けられる“メスを使用しない自毛植毛法”も開発されていますし、さらに改良されたハイブリット自毛植毛≪i-SAFE≫なども開発されています。

また技術の向上と共に大量の植毛を行うメガセッションや、FUTとFUEの良いところを組み合わせたハイブリッド法など、自毛植毛の進歩と共に各院の独自の術式名が増えております。

また、女性のための植毛法も男性の植毛の歴史と比較すると歴史は浅いですが、現在では飛躍的にレベルアップをしています。以前は、男性用の薄毛治療の薬を女性にも使用していたこともあったと言われていますが、男性と女性では毛髪の生えるメカニズムが違いますから効果もなく、副作用の危険性もありました。ここ近年では、女性のための薄毛治療のクリニックも増え、女性へ向けた薄毛対策の研究も進んでいます。

産後脱毛症

産後脱毛症とは? 

女性に特有の脱毛症。別名、分娩後脱毛症とも言いいます。
出産を終えて2~3ヶ月後の時期を迎えた女性は、「ホルモンバランス」と「毛髪サイクル」、「激変する生活」の3つが関係し、急に抜け毛が増加してしまうことがあります。あくまでも一時的な症状であり、半年以上経過すると自然に収まっていきます。

妊娠中は女性ホルモンのプロゲステロン(黄体ホルモン)とエストロゲン(卵胞ホルモン)が増えることで、髪の毛が抜けにくくなるとされています。実際、妊娠中は髪の毛や体毛が増えて毛深くなったという妊婦さんもいます。
しかし、赤ちゃんを産むと女性ホルモンが急激に減少し、妊娠中に抜けなかった髪が一気に抜けてしまうのです。
また女性ホルモン以外にも、慣れない子育てへのストレスや、赤ちゃんのお世話による睡眠不足、不規則な食事なども産後の抜け毛の原因になりえます。なかには、抜け毛によるストレスでさらに抜け毛が進む…という悪循環に陥ってしまう人もいるようです。
髪の毛は、基本的には次のようなサイクルで生える、抜けるを繰り返します。

● 成長期(髪の毛が生える時期):3〜7年間
● 退行期(髪の毛が抜ける時期):2~3週間
● 休止期(髪の毛が生えるまでの休みの時期):約3ヶ月間

産後の抜け毛の場合、多くの髪の毛が一気に退行期を迎えて抜けてしまい、休止期に入ると考えられます。一時的に髪が少なく、薄くなってしまうのはそのせいです。

その後、3ヶ月ほど経つと休止期が終わって再び成長期に入り、髪がだんだんと生え始めて量も改善されていきます。

しかし産後の抜け毛の原因である女性ホルモンの分泌量や生活習慣には個人差があるため、抜け毛が起きる期間がいつからいつまでなのかという点については、人によって異なります。

一般的には、産後すぐから抜け毛が見られ、産後6ヶ月頃、遅くとも産後1年で戻ることが多いようです。
産後の抜け毛は、生理的なことだと考えれば特に心配する必要はありません。ただ、あまり抜け毛を放っておいても、ストレスが溜まってしまいますよね。そこで、少しでも早く回復したいという人は、次のような抜け毛対策を心がけましょう。

● 規則正しい生活をしてリズムを整える
● 質のよい睡眠を多く取る
● ストレスを溜めない
● ストレッチなど、適度な運動をする

抜け毛予防に効果的な食材を栄養素別にご紹介します。忙しいかもしれませんが、これらをちょっと意識して食べることで、抜け毛の量を減らしたり、予防したりできるかもしれませんよ。

タンパク質
髪の毛の99%はタンパク質で構成されています。そのため、タンパク質が多く含まれている大豆や肉、卵などを積極的に摂りましょう。

大豆イソフラボン
大豆に含まれているイソフラボンは女性ホルモンに似た働きをし、髪の毛の成長を促すと考えられています。

大豆イソフラボンの1日の摂取目安量の上限は、70~75mgで、納豆1パック分ほどです。いつもの朝食に納豆を1つ追加するだけで手軽に摂取できますよ。

ビタミンB2
豚肉やレバー、サンマなどに多く含まれているビタミンB2は、新陳代謝を活発にし、健康な髪や皮膚などを作ったり、成長を促したりする栄養素です。ビタミンB2は熱に強い性質があるので、炒め物や煮物などで摂取するのがいいですね。

ミネラル(亜鉛、鉄)
昔からわかめやひじきは髪にいいと言われますが、これらにはミネラルが豊富に含まれています。また貝類には亜鉛が、ホウレン草やレバーなどには鉄が含まれており、健康的な髪を育ててくれる働きがあるとされています。

産後の抜け毛にショックを受けるのは仕方のないことですが、楽しく育児をするためにも、あまり考えすぎず、自然に改善されるまで待つことが大切です。

無毛症

無毛症とは?

スキンヘッドの男性のイラスト毛髪がまったく生えてこない遺伝性の病気は無毛症と呼ばれる。また、ごく少量の毛髪のみが生え、完全に生えそろわない症状においては乏毛症と呼ばれる場合もある。無毛症に類似した言葉で脱毛症というものがあるが、これは後天的な要因により毛髪が抜け落ちる病気である。よって、無毛症と脱毛症は異なる病気であることをよく理解したい。

先天性の場合が多く、遺伝子異常を原因として発症することがある。また、無毛症は、毛以外の組織にも歯や爪などにも同時に異常がみられる疾患と関連して発症することもありえる。そのほか、男性ホルモンの働きが異常を示し、思春期に生えるべき陰毛が正常に生えないことで生じる無毛症も存在する。

病気の特質としては、生まれつき毛髪がみられない、または毛が生えた状態で産まれてきても生後数ヶ月以内、あるいは1~2年以内にすべての毛髪が抜け落ちてしまい、そのまま生えてこなくなる、というものである。

そのほか、毛の生え方以外にも、歯の形や生え方、爪の形状に異常を示すこともあれば、精神発達に遅れがみられることもある。実際にどのような経過をたどるのかは、原因によってさまざまである。

原因についてはまだ解明が進んでいないが、遺伝による影響が強いものとみなされている。
後天性の場合は、ホルモンの極端な乱れや放射線、あるいは皮下脂肪型の肥満等が原因となることがある。

有効な治療法などは確立されていないが、専門医を探して精密な検査を受けた上で、長期的な対策を相談していくことが求められる。現在、日常生活を送るにおいては、かつら等の活用が有効である。

 

 

多毛症

多毛症とは、毛が多く増えているようにみえる状態です。

一言で多毛症といっても、医学的にはいくつかの概念が含まれています。たとえば、胸や腕、口回りなど、通常でも毛がみられる部位において、年齢や性別の正常範囲を超えて毛が増えてみえる状態を指すことがあります(無性毛型多毛症)。その一方、女性において男性ホルモンの影響が色濃く出てしまい、男性のような毛の分布になってしまう状態を指すこともあります(男性型多毛症)。

多毛症は、体質的な要因で発症することがある一方、卵巣の異常、薬物の影響などが原因となって発症していることもあります。原因に病気が潜んでいる場合には、治すことが重要になってきます。

原因
原因はさまざまですが、生まれ持った体質が関連していることが多いです。

毛の発育は、男性ホルモンの影響が強く反映されるため、身体の中で病的に男性ホルモンが増える状態でも多毛症になります。

男性ホルモンの産生を過剰にする可能性のある病気として、多嚢胞性卵巣症候群、クッシング症候群、先天性副腎過形成、副腎腫瘍などを例として挙げることができます。また、薬剤(ステロイドや黄体ホルモン剤など)の影響を強く受けることもあります。

症状
多毛症は、もともと毛が生えている部位の毛が過剰になってしまうことがあります。さらに、女性が男性のような毛が生えてくることもあります。そのため、女性でも口まわりにヒゲや明らかな胸毛がみられるようになります。手や足の毛も男性のように濃くなり、陰毛の生え方も男性のように変化します。

女性における多毛症では、男性ホルモンの影響からさまざまな症状がでます。たとえば、声が低くなったり、脱毛がみられたりします。また、ニキビが増える、胸が小さくなる、筋肉が増える、陰核いんかくが大きくなる、などといった症状がみられる可能性もあります。生理不順に陥ることもあります。
そのほか、原因疾患によっては、肥満、高血圧、糖尿病、頭痛などさまざまな症状を随伴する可能性があります。

また、女性の場合は特に、多毛症を抱えることで精神的なストレスを感じることがあります。多毛症そのもので直接的に健康被害をもたらすことはありませんが、美容的な観点を考慮することは、精神的に健康な生活を送るためにも重要な点であるといえます。

治療

多毛症はまず婦人科・美容皮膚科・泌尿器科でホルモン検査を行い、特発性でない場合は原因である病気を特定するため専門の科でさらに検査を行います。

特発性多毛症やPCOSが原因である多毛症の場合は、まず食生活の改善と運動習慣を身につけるなど、ライフスタイルの改善で多毛の原因であるホルモンバランスの乱れを整えます。

症状によって、医師の判断で薬物療法や外科的治療も行う場合もありますし、多毛症の原因がなんらかの病気の場合はその治療を行います。
多毛症はなんらかの病気のサインの可能性もあるため、早急に婦人科か皮膚科、または泌尿器科などの医療機関で検査を受けることをおすすめします。

 

ユーメラニン

ユーメラニンとは?

体内で多く生成される色素「メラニン」の一種。
真性メラニンと呼ばれることもある。また、単に「メラニン」と書いてある場合はこのユーメラニンを意図していることも少なくない。

頭髪のメラニンは毛穴のメラノサイトで作られている。メラノサイトとはメラニンを産生する細胞のことである。メラニンはメラノソームという袋状の細胞小器官の中で生成され、メラノソームはメラノサイト内でのみ形成される。ユーメラニンは頭髪の色を黒色や褐色に変える性質を持っている。しかし加齢とともに減少する傾向があるため、ユーメラニンが減ることで白髪が増えると考えられている。

人種によってユーメラニンの含有量は異なるが、黒人がもつメラニンのほとんどがユーメラニンである。また、日本人の頭髪にも非常に多く含まれている。もっとも日本人同士で比較しても、その量にはかなりの個人差がある。

メラニンは、日常の思わぬ点で私たちを支えている。紫外線(UV)を浴びると、メラノサイトが一時的に、過剰にメラニン色素を生成する。なぜメラニン色素は生成されるのか。メラニン色素がなければ、皮膚の奥深くまで紫外線が入り込み、紫外線を少量浴びただけで、水ぶくれや炎症を起こすようになるからである。また、紫外線によってDNAを破壊され、皮膚癌などをひきおこしてしまう場合もある。メラニン色素は私たちの体を紫外線から守るという大切な働きをしているのである。

しかし、メラニンには欠点も存在する。先述のように、ユーメラニンの減少により毛髪の色が白く変化してしまうのだ。メラノサイトの働きが悪くなる原因は、過度のストレスやバランスの悪い食生活、睡眠不足などの悪い生活習慣であると言われている。健全な生活を送ることは、メラニン減少の抑制のみならず、心身の健康にもつながるであろう。

このように、メラニンはさまざまな立場・役割を通して私たちと深い関わりをもっているのである。
肩を組む世界の子供たちのイラスト

ポラリス

ポラリスとは?

男性型脱毛症(AGA)の治療薬の一種。アメリカの同名の製薬会社が生産・販売を行っている。

ミノキシジルの含有量では、他の薬と比べて特に優れているわけではないが、患部に塗布して使用するため効果を引き出しやすいという特徴がある。もちろん、抜け毛を克服したい箇所がある場合にも有効である。
ただし皮膚の炎症などが起こった場合には注意が必要となる。もともと副作用が多い薬ではないが、頭皮のかゆみやかぶれ、また低血圧などが若干報告されている。

最近は、ミノキシジルをはじめとした有効成分の含有量が異なる商品が数種類発売されており、利用者にはその点に配慮しながら購入品を選ぶ姿勢が求められる。

ポラリスの語源

バイエル名はα星。フラムスティード名でも「こぐま座1番星」、「プトレマイオスの星表」でも「ティコの星表」でも、それぞれこぐま座の最初に掲げられていた。

ポラリスは、北極距離が2000年分点で約44分と天の北極に非常に近い位置にあり、最も天の北極に近付く2102年の前後数世紀間は北極星となっている。

特徴

ポラリスは三重連星で、黄色輝巨星(または超巨星)でケフェイド変光星でもあるポラリスAと、薄黄色の主系列星であるポラリスBとが約2400au離れて回り合う実視連星となっている。ポラリスBは中口径の望遠鏡でも見ることができ、1780年にウィリアム・ハーシェルによって発見された。

1929年に分光観測によって、ポラリスAにもう1つ非常に距離の近い伴星(ポラリスPポラリスaポラリスAbなどと呼ばれる)が存在することが明らかになった。2006年1月にアメリカ航空宇宙局はハッブル宇宙望遠鏡でポラリスを撮影し、3つ全ての星を直接撮影することに成功した。ポラリスAに近い方の伴星は主星であるポラリスAからの距離が17auしか離れていないため、主星の光に埋もれてほとんど見ることができない[9]

ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したポラリス

ポラリスAbはポラリスAのすぐ近くを公転する矮星である。最近の観測で、ポラリスはA, F型の恒星からなる集中度の低い散開星団の一部である可能性も示唆されている。

ポラリスAは古典的な種族Iのケフェイド変光星である(銀緯が高いため、かつては種族IIであると考えられたこともあった)。ケフェイド変光星は距離測定の標準光源として用いることができる重要な天体であるため、地球から最も近いケフェイドであるポラリスは詳しく研究されている。1900年頃の観測では、ポラリスは約3.97日の周期で平均光度から約±8%の振幅で変光していた。しかし20世紀半ばになるとこの星の変光の幅は急速に減少した。1990年代半ばには変光幅は1%にまで減少し、現在も低い水準が続いている。またこの約100年間で平均光度は約15%明るくなり、変光周期は1年に約8秒の割合で延びている。

名称

固有名のポラリス (Polaris) は、ラテン語で「極の」を意味する言葉で、近世になってこの星が天の北極に最も近くなったことから名付けられた。2016年6月30日に国際天文学連合の恒星の命名に関するワーキンググループ (Working Group on Star Names, WGSN) は、Polaris をこぐま座α星Aの固有名として正式に承認した。

ポラリスは肉眼で確認しやすい星の中で最も天の北極に近いため、16世紀頃から北極星として機能しており「極の星」や「北の星」という意味合いの名前で呼ばれていた。以後、世界各国では自国語で「北極星」という意味合いの名前で呼ばれることがほとんどである。英語でも The North StarThe Pole StarThe Polar Starなどと呼ばれるが、英語圏では近年、固有名の Polaris で呼ばれるようになってきている。

その他、ナヴィガトリア (Navigatoria)、ギリシア語起源のキノスラ (Cynosura)、フォエニケ (Phoenice)、アラビア語起源のアルルカバ (Alruccabah) などと呼ばれていた。キノスラはギリシア語で「犬の尾」を意味する言葉に由来し、17〜18世紀の天文書にしばしば登場する名前だが、今日では完全に忘れ去られている。アルルカバは「(大熊の)膝」を意味する al-rukba というアラビア語に由来し、これは元々おおぐま座θ星を指す言葉が誤ってこの星に使われるようになったものである[7]

昔の中国での名称

天の北極付近にある勾陳(こうちん)という星座の1星であり、勾陳第一星(勾陳一)とか勾陳大星と呼ばれていた。中国の天文学において、この星は何の変哲もないその他大勢の星の一つに過ぎず、全く注目されていなかった。日本の天文暦学者・渋川春海の星図では北極という星座の第五星・天枢と同定される。ただし、春海は独自に観測して星図を作成しているので、中国本土の伝統的な星の同定とは異なる場合もある。

日本での名称

日本各地でさまざまに呼ばれた。

  • キタノオオボシ(北の大星)
  • キタノヒトツボシ(北の一つ星)
  • キタノホシ(北の星)
  • キタノミョウジン(北の明神)
  • キタノミョウジョウ(北の明星)
  • キタボシ(北星)
  • シンボシ(芯星):回転の心棒
  • ネノホシ(子の星):方角、北に当たる
  • ヒトツボシ(一つ星)
  • ホウガクボシ(方角星)
  • ホクシン(北辰)
  • ホッキョクサマ(北極様)
  • ミョウケン(妙見)
  • メアテボシ(目当て星)
  • ニヌファブシ(子の方星)- 沖縄(沖縄方言)
  • チヌカルカムイ(私たちが見る神) – 北海道(アイヌ語)

探し方

ポラリスの探し方

ポラリスを探す方法は以下の2種類が有名である。

  • 柄杓形で表現される北斗七星の7星のうち、柄から一番遠い2星を結んだ線上、柄杓の上側にある。柄杓の先端からの距離は、先の2星の間隔の約5倍である。
  • W字形で表現されるカシオペヤ座の5星のうち、片側2星の延長線と反対側2星の延長線の交点と中央の星とを結んだ線上、W字の上側にある。中央の星からの距離は、先の交点と中央の星との間隔の約5倍である。

ポラリスに関する伝承

地球から見て北極星はほとんど動かないという特殊な性質があるため、世界各地では一般的に不動の星として認識されており、様々な伝承が残っている。ところがその中にあって、日本においてはポラリスも僅かだが動くことが、民間伝承として伝えられている。伝承とは次のようなものである。

江戸時代大坂に、日本海の北回り航路で交易をしていた桑名屋徳蔵という北前船の親方がいた。ある夜留守を預かる徳蔵の妻は、機織りをしながら時々夫を思っては北の窓から北極星を見ていた。すると北極星が窓の格子に隠れる時があり、彼女は北極星は動くのではないかと疑いを持った。そこで次に彼女は眠らないように水をはったたらいの中にすわって一晩中北極星を観察して、間違いなく動くことを確かめた。帰ってきた徳蔵に彼女はこのことを告げ、この事実は船乗りたちの間に広まっていった。

2013年末におけるポラリスの日周運動直径はおよそ1.4°であるが(写真)、過去はもっと大きな日周運動を描いていた。

この伝承は、ポラリスの可動性を説いたものの一つである。伝承は瀬戸内海沿岸を主として広く分布しており、当事者の名前、苗字、職業、妻の作業内容やポラリスの可動性を発見したシチュエーションなどに様々なバリエーションがある。また、名前の類似から天竺徳兵衛とされたり、職業から紀伊国屋文左衛門とする地方もある。

ただし、ポラリスが北極星として認識されるようになったのは、ヨーロッパでも大航海時代となった16世紀(1500年代)になってからのことである。この伝承は1800年代のことになるが、当時のポラリスの北極距離は2度に満たず、ポラリスの可動性に気付いたのは北極距離が3度近くあった1600年頃だと推定されている。なお、これはあくまで民間での話であって、歳差は(その原因についてはともかく)古くから知られていたので、学問的には、北極星が遷移することは洋の東西を問わず常識であった